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2015年09月06日 更新

【東日本大震災追悼式で19歳の少女が語った言葉】「行かないで」という母に私は…

2015年3月11日に行われた「東日本大震災追悼式」の宮城県遺族代表として述べた追悼の言葉が、多くの方の心の奥底にまで響き渡っています。

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出典:https://twitter.com

彼女の名前は菅原彩加(さやか)さん。宮城県石巻市大川という小さな集落出身の、19歳の女の子です。

震災当時はまだ中学生。3月11日は卒業式。当時の生々しい体験を交えた追悼の言葉は、これまでに何度もスピーチを行うことで、多くの人へ考えるきっかけを与えてきました。

以下は、今回の東日本大震災追悼式で朝日新聞にて掲載された内容の引用です。

私は東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。

小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。

あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。

しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

そんな体験から今日で4年。

あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数えきれないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが、今もまだ夢の様です。

しかし私は震災後、たくさんの「諦めない、人々の姿」を見てきました。震災で甚大な被害を受けたのにもかかわらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い復興へ向かって頑張る人たちがいます。日本中、世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることが出来ます。

震災で失った物はもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることも無いと思います。しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていける物だと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。

最後に、東日本大震災に伴い被災地にたくさんの支援をしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。また、お亡くなりになったたくさんの方々にご冥福をお祈りし追悼の言葉とさせていただきます。
■引用:朝日新聞デジタル

彼女の言葉には、何一つ嘘がありません。当時の真実がそのまま語られています。母親の言葉や、彩加さんがとった行動や決断の強さ。だからこそ、多くの方の心を動かすきっかけに繋がっているのだと思います。

ご本人の名前でツイッター等も公開されており、その様子からは前向きに頑張っていることがすぐに分かります。この春から神奈川県の大学に進み、防災学を学ぶ菅原さん。

この先、辛いこともまだまだたくさんあるでしょうが、“私にしか出来ないこと”“私だから出来ること”というものをたくさん見つけ誰かの役に立ち、失ったものと同じくらいのものを、この人生を通して得ていきたいと思っています。

出典:http://www.sendaiikuei.ed.jp

と以前語っていた言葉通り、前へ前へとすすんでいます。

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