世界三大美女は誰?三大美女の生涯と意外な新事実

世界三大美女と呼ばれている人達がいます。名前を知っている方は多いでしょう。しかし、実際にこの三人の美女について詳しいことを知っている方はなかなかいないのではないでしょうか。こちらではこの三人の美女について注目しましょう。

世界三大美女は誰?

そもそも世界三大美女とは一体誰なのでしょうか。これは一般常識と言える事柄なのですが、実際にはよく知らないという方もいるかもしれません。こちらではまず世界三大美女とは一体誰なのか、簡単に説明しましょう。

クレオパトラ

まずクレオパトラがいます。こちらは古代エジプトのプトレマイオス朝の最後のファラオです。昔から美女として知られています。今でもこの名前を持っている女性はたくさんいます。絶世の美女とされており、才色兼備であったことが知られています。後世においてはたとえばシェイクスピアをはじめとしてクレオパトラを題材とした作品は多数存在しています。クレオパトラの鼻があと1センチ低ければ世界の歴史は変わっていたという言葉は有名でしょう。

楊貴妃

楊貴妃も美女として歴史的に有名な存在となっています。楊貴妃というのは二番目に偉い奥さんという意味があります。こちらは玄宗の息子の嫁だったのを、あまりにも美人だったために玄宗が奪ったのです。悪女というイメージがあるかもしれませんが、実際にはそのようなことはありませんでした。むしろ玄宗の方が性格的には問題のある人物だったといえるでしょう。最終的には756年の6月16日に皇帝である玄宗自らが首を絞めることによって死去しました。

小野小町

昔から日本で美女といえば小野小町の名前が上がります。今でもなんとか小町という名称で美人を讃えるというケースはあります。それぐらい美人の代名詞といえる存在となっているのです。平安時代の前期に生きていた、9世紀頃の歌人です。そのため、歴史の時間だけではなくて古典の時間にも習ったことのある方は多いでしょう。容姿が優れているだけではなくて、和歌の腕も優れている点も評価されています。

マリー・アントワネットを加えて四大美女と呼ばれる事もある

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一般的には上記の三人をまとめて世界三大美女とされているのですが、こちらにマリーアントワネットを加えて世界四大美女とすることもあります。マリーアントワネットは18世紀の人のため比較的新しいのですが、写真は残っていません。華美な衣装を身にまとい、パンがなければケーキを食べれば良いというセリフでよく知られています。

世界三大美女のクレオパトラはどんな美女なのか?

クレオパトラといえば美女として知っている方は多いでしょうが、具体的にどのような女性だったのか細かなことは知らないという方は多いでしょう。こちらではクレオパトラがどのような存在だったのか、その人物像や歴史について紹介しましょう。

古代エジプト・プトレマイオス朝最後のファラオ

ファラオはプトレマイオス朝の末裔です。プトレマイオスというのはアレクサンダー大王の東征のあとにその配下であるプトレマイオスによって開かれた王朝のことです。クレオパトラは父親がプトレマイオス12世であり、母親はクレオパトラ5世となっています。父の死後にクレオパトラが女王となりました。姉が1名、弟が2名、さらに妹が1名存在しています。

18歳の時に結婚しファラオとなる

プトレマイオス朝における王位継承権は王女と結婚をしたものが持つというルールとなっていました。そのため、王子が姉や妹と結婚をしてエジプトを支配するということを繰り返していました。基本的に近親婚による統治をしていたのです。しかし、このような体制では骨肉の争いに発展しやすいでしょう。

クレオパトラの場合には弟のプトレマイオス13世と結婚をしてファラオとなりました。

夫にクーデターを起こされ追放される

弟と結婚をして共同統治者としてエジプトを支配していたクレオパトラなのですが、夫との相性は悪かったです。そのため、最終的にはクーデターを起こされてしまいました。その結果として、クレオパトラは追放されてしまうのです。プトレマイオス13世はローマからの独立を果たそうとしており、親ローマ主義であったクレオパトラとは対立していたのです。

ナイル川の戦いによりファラオに返り咲く

クレオパトラと Caesarean 、ハトホル神殿、デンデラ、エジプト - ストックフォト
追放されたあとのクレオパトラは古代ローマ帝国のカエサルに接近しました。これによって愛人になることに成功をして、最終的にはクレオパトラがファラオに返り咲くことに成功したのです。ファルサルスの戦いによってカエサルはプトレマイオス13世を退けることに成功して、最終的にはエジプトに上陸したカエサルがプトレマイオス13世を殺害したのです。

クレオパトラは49歳の時に自殺

カエサルは独裁政治を行っていたため暗殺されてしまいます。その後はクレオパトラはアントニウスとのロマンスが生まれます。これに反発したオクタヴィアヌスはアントニウスとの決戦を決意します。結局戦いに破れて、クレオパトラはエジプトへと帰ってしまいます。このときにアントニウスはクレオパトラが死亡してしまったという誤報を聞いて自殺してしまいます。これにショックを受けてクレオパトラも後追い自殺をしてしまいました。それが49歳のときの話です。

世界三大美女の楊貴妃はどんな美女なのか?

世界三大美女の一人として中国の楊貴妃があげられることが多いです。こちらはどのような美女だったのでしょうか。楊貴妃という人物について解説しましょう。

楊貴妃の「貴妃」は二番目に偉い奥さんという意味

実は楊貴妃の貴妃とは二番目に偉い奥さんという意味となっています。したがって、こちらは名前ではなくて位であると考えることができます。そのため、歴史の中には貴妃という名前を持つ人物はたくさんいます。楊貴妃というのは苗字が楊で二番目に偉い奥さんであるという意味となるのです。したがって、女性自身の本名が出ているわけではありません。当時は女性の本名を表に出すことは滅多になかったのです。

元々は玄宗の息子の嫁


楊貴妃といえば当時の皇帝である玄宗の嫁であるということはよく知られています。しかし、元々は息子の嫁だったのです。それが絶世の美女と呼ばれるくらいに魅力的な人物だったため、玄宗は一目惚れしてしまい、その女性を自分の嫁にしたいと願ったのです。そして、実際に息子から嫁を奪い取ってしまいました。玄宗が55歳のときに楊貴妃は21歳で嫁となったのです。

本人は質素で控えめな性格

楊貴妃というのは一気に皇帝の嫁となりました。皇帝の寵愛を受けているため、とても偉そうな立場で周りに接したかといえばそういうことはありません。実際にはとても質素で控えめな性格をしていたのです。けっして悪女ではなくて、贅沢な暮らしをしたがったというわけではありません。どちらかといえば玄宗の方に問題があったのです。

玄宗の楊貴妃への異常な愛が安史の乱を引き起こした

玄宗は楊貴妃のことをとても愛していました。その愛情が異常な状態となっていたのです。たとえば楊貴妃の織物や装飾品をつくるために数百人もの人を用意したということもあります。また、楊貴妃に蜜美物を贈るという方も次々と出てきました。このようにして不穏な空気が生まれていき、ついには安史の乱が起きてしまったのです。楊貴妃の一族をどんどん高い官職につけたために他の官職の人達が反乱を起こしました。

最後は玄宗皇帝自らが首を締めて殺した

最終的には部下からも玄宗は責められてしまい、楊貴妃の首を自ら締めて殺すという結果となったのです。楊貴妃はその命令に抵抗することもなくしたがいました。したがって、楊貴妃というのは後世でも悪く言われるようなことはありません。楊貴妃自身にはまったく非がないと考えられているからです。

世界三大美女の小野小町はどんな美女なのか?


世界三大美女の一人として日本でも馴染み深い存在が小野小町です。小野小町の絵を見たことがあるという方も多いでしょう。そんな小野小町がどのような存在だったのかを解説します。

平安時代前期の女流歌人

小野小町は正確な生没年は不明とされています。だいたい825年から900年頃に活躍していたとされています。女流歌人として活躍していました。よく分かっていない部分が多いです。誰が父親なのか、兄弟姉妹がいるのかも正確なことは分かっていません。出身地についてもばらばらな説が存在しています。平安時代の前期において女流歌人として活躍していたことは確かとされています。

平安時代の女性の美しさの条件を網羅

それぞれの時代において美人の条件というのは異なっています。小野小町は平安時代の美人の条件を備えていたとされているのです。そのため、今の世で見るとそれほど美人とは思われないかもしれません。美白肌であり、黒髪ロングであり、引き目にかぎ鼻、下膨れがありおちょぼ口でした。そのため、小野小町の絵で見られるような特徴を実際に兼ね備えていたとされているのです。

顔が良くてモテたわけではないとも言われている

小野小町といえば数々の男からモテたとされています。ただし、これは顔が良くてモテたのではなくて、その他の理由からモテたという説も存在しています。トップ歌人であり、多くの歌のやり取りをしていました。昔は歌のやり取りをして恋愛をするのが一般的だったため、歌の技術が優れている人がモテたのです。

六歌仙のひとり

小野小町といえば六歌仙のひとりとして知られています。六歌仙というのは平安の初期に活躍していた歌人のことです。六人の歌人が名人として選ばれており、その中の1人が小野小町とされています。

百夜通い伝説でも有名

小野小町といえば百夜通いという伝説があります。こちらは世阿弥などが創作したものとされています。若草少将が小野小町に熱心であり、百夜通えばあなたの意のままになろうと言った小野小町の言葉を真に受けました。そして、毎晩通ったのですが、ついに雪の夜に死んでしまったのです。小野小町の恋愛についての代表的なエピソードとなっています。

世界三大美女に小野小町を入れているのは日本だけ?


小野小町が世界三大美女に入っているのは当たり前のように受け入れている方が多いでしょう。しかし、実はこれは日本だけのことなのです。こちらについて詳しくみていきましょう。

日本では世界三大美女はクレオパトラ・楊貴妃・小野小町

日本における世界三大美女といえばクレオパトラと楊貴妃、そして小野小町となっています。しかし、これは日本特有のものです。小野小町が入っているのは日本だけなのです。そもそも小野小町は海外でそれほど知名度があるとはいえないでしょう。

世界三大美女は明治時代に出来た表現という説が濃厚

どうして日本で世界三大美女に小野小町が入ったかといえば、これは明治時代にできた表現であることが有力となっています。この時代には海外の文化がどんどん流入してきました。世界三大美女という表現も知られるようになり、日本に馴染み深いように小野小町が入ったのです。

日本以外では小野小町の代りに「ヘレナ」が入る

一般的には小野小町の代わりにヘレナが入ることが多いです。こちらはギリシャの女神とされています。そのため、実在の人物ではありません。

ヘレナとはどのような美女なのか?

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世界ではヘレナが世界三大美女の1人としてよく知られているのですが、こちらは一体どういう人物なのでしょうか。ヘレナについて教えましょう。一般常識として知っておくべきです。

スパルタで信仰された樹木崇拝に関わる女神

ヘレナというのはギリシャの女神です。スパルタにおいて信仰されています。樹木崇拝に関わっているのが特徴となっています。

トロイ戦争の原因となる程のギリシア伝説における稀代の美女

ヘレナはギリシア伝説においては稀代の美女とされています。トロイ戦争の原因ともなったのです。もちろん女神のため実際にヘレナがいたわけではありません。トロイの王子にさらわれたことによって、トロイ戦争が起きてしまいました。地上で最も美しい美女とされていたのです。

トロイ戦争についてはあくまでも神話の話なのですが、実際にその頃に大規模な戦争があったという説もあります。そのため、まったく架空の話というわけではないのです。トロイ戦争に関する作品はたくさん存在しています。

まとめ

世界三大美女についてまとめてきました。クレオパトラと楊貴妃、小野小町はそれぞれに特徴的なエピソードが存在しているのです。さらにヘレナという女神もいます。こちらが世界三大美女の一人とされる方が世界では一般的なため、そちらも覚えておきましょう。さらにマリーアントワネットの存在も忘れてはいけません。

これからも世界三大美女はずっと伝えられていくでしょう。これが別の女性に取って代わるという可能性はないでしょう。歴史上の人物だからこそ、美女として讃えることができるのです。